2011/07/10

ついったー


こんにちは。



今回はお知らせ。



ほぼ毎日、「Twitter」にてルワンダのこと、自分自身のこと、興味あること呟いてます。


アドレス先はこちら。
http://twitter.com/sushi00071207



どうぞ、お暇な時にでも覗いてみてください!











ルワンダの地ビール「プリムス」。



休日のひと時。ホッ!


2011/07/09

ウガンダ旅行③

赤道で出会った民芸品を売っている女性。






何か食べてる?!



なんだろうと思って聞いてみると、



「セネネ」



バッタだ!!






羽をちぎって、炒めて食べる。



恐る恐る試食させてもらう。



カッパえびせんの味だ。



ウガンダでは至る所で売っている「セネネ」。国民的なおやつのようだ。




赤道を後にして、首都カンパラの南西に位置するムピジを訪れた。



そのムピジにある市場で、早速「セネネ」を売っている場所を発見。











白い布袋にぎっしり詰まってる生「セネネ」。



ピョンピョン飛び跳ねている。



ちなみに、ルワンダではこうした虫を好んで食べない。



僕が知っている限り市場や道端で売ってもいない。



でも、いつだったか去年の暮れ頃に「セネネ」が大量に発生して、クロードが夜通し捕まえてた。



次に日に炒めて食べてた。



食べないことはないけど、ウガンダのように市場で、道端で売って、バスの中でボリボリ、お酒のおつまみにボリボリ食べたりしない。ルワンダでは。



お隣の国同士でも食文化が違ってくる。



おもしろい。





ウガンダ旅行②

こんにちは。



突然ですが、問題。



赤道ってどんな色しているでしょうか?













正解は。














黄色でした!!



赤じゃない黄色だったんですね。



え??ですよ。ほんと。



それも、ちゃんとお店まで線が伸びてました(笑)



そう、首都カンパラより赤道を目指しました。



ウガンダは赤道直下にありますが、この赤道直下にある国は、全世界で16カ国。



日本はもちろん赤道直下にはないですね。



この赤道直下では、昼の長さとよるの長さが一年を通じて12時間。



さらに。



水は、北半球では左回りに渦をつくって流れて行き、南半球では、右巻きに渦をつくって流れて行くそうです。



それなら赤道上ではどうなるか!!



上の写真、赤道の線上に「Do you know?」と看板があって、その上に桶があります。



そうです、水の流れをみる実験ができます。



答えは、、、、












ぜひぜひ、赤道を訪れた時にどうぞ試してみてください!



え??ってなりますよね。



実は僕たちが赤道を目指したのは、その赤道上でビール飲んだら一味違うだろってことで、目指して、、、



全く実験する気ゼロでした。



だから、どうなるのかわからなくて。



やっておけばよかったです。



とりあえず、

















赤道でカンパイ!!






2011/07/01

偉大なひと


ばあちゃんのことを書いて、



じいちゃんのことも書きたくなった。



この日記見てくれてるかな。



今、リハビリ奮闘中。頑張っている!



じいちゃんは僕にとって、憧れであり決して超えられない壁だ。



とってもおっきくて優しい。全てを受け入れてくれる。



僕が高校生の時、留学したいと言って、誰よりも賛成してくれたのがじいちゃんだった。



それで親父は、じいちゃんに怒ったらしい。



親父としては、僕が野球を日本で続けて欲しかったのだと思う。



野球はその当時、全てだったからね。



じいちゃんは、いつも、僕の味方でいてくれる。



それがどれだけ勇気つけられるか、前に進んでいけるか。



僕もそんな大きなひとになれたらと思う。



僕が小さい時、じいちゃんは議員さんだった。



毎晩のようにお客さんが来て、政治の話をしていた気がする。



今は引退してしまったけれど、時々、先生と言われているのを聞くと、議員さんだったんだと思った。



中学生の頃に、北朝鮮のミサイル発射の報道を見ていた時、その発射の裏に隠された意図を説明してくれた。



天安門事件当時、中国へ行った話もしてくれた。



日本が消費税導入前にアメリカへ視察した時の話もしてくれた。



外国が遠い世界だった中学生だった頃、限りなく世界を近づけてくれた。



幸か不幸か、僕がこうしてアフリカにいるのも、じいちゃんの影響は大きい。



こうして世界に飛び出して仕事できる喜びはかみしめてる。



じいちゃん、そして家族の支えあってこそだ。



どうもありがとう。



これもじいちゃんの影響かな。



なぜか政治の世界に妙に惹かれてしまう。



きっと、じいちゃんを間近で見て来た親父は、きっと反対するだろうけど。



何十年後かに故郷、福島のため、日本のために身を置くのも悪くないと思う。



日本に帰ったら、またいろいろ教えてください!



じいちゃんの元気な姿を楽しみにしています。


ばあちゃん


前回の投稿から3週間が経った。



いろいろあった。



ちょうど、三週間前にばあちゃんの訃報に接した。



突然のことで、実感がわかなかった。



こんな時、ルワンダと日本は遠い。



遠すぎる。



すぐに駆けつけることが出来ない。



ばあちゃんは、昔、学校の先生をしていた。



先生だったんだと、ふと思った。



僕が物心ついたときは、先生というよりばあちゃんだった。



当たり前か。どんな先生だったんだろう?



ばあちゃんの家に行くと、いつも思うことがあった。



母親の作る料理と味付けがそっくりだってこと。



ルーツはばあちゃん。



そうして家庭の料理は受け継がれて行くのかな。



ばあちゃんと母親が台所で並んで料理作るところ。



なんだか微笑ましかった。



ばあちゃんの家を後にするときは、決まって堅く握手してた。



何度も、温かい手で。



小さい頃から気が付けばしていたように思う。



だからか、ばあちゃんが旅立つ時。



あの夜、寝ているそば、僕の手が誰かに握られたようにとても温かいものを感じた。



ばあちゃんが挨拶しに来てくれたのだと思った。



どうもありがとう、ばあちゃん。



また、夢枕で会いましょう!!