こんにちは。お元気ですか?
ゴクゴクゴク!!
仕事後の一杯は身に染み渡りますね。
そんな仕事後に向かったのはお隣さん宅。
隣町で購入したお気に入りのウガンダ産チェリー酒を持参して。
右に座っている白のTシャツの人がお隣さんのジャンおじさん。
そして、左に座っているのがジャンおじさんの長年の知り合いのムニャチンディおじさん。
ジャンおじさんとは、週に一度こうして訪ねてはお酒をのみながら語り合ってる。
とにかく良く喋って、飲む。
でも、酔いが回って饒舌になると過去の話をしてくれる。
ルワンダの暗い過去の話。
「むにゃかじ、俺の親父は1973年に亡くなったんだ。その年にルワンダでクーデターが起きた。親父は近所の家を訪ねた時、突然やってきた民兵が家に火をつけて扉を塞いだんだ。親父は逃げ場を失って、その場で、手元にあったナタで首筋を刺して自殺したんだ。それと、母親は民兵にレイプされた。今でもはっきり覚えているよ。」
「1994年の時には、兄弟や親戚の多くを失った。俺は、幸運にも生き延びることができたんだ。でも、絶望から何度も自殺しようとした。死ねなかった。ずっと精神的にもおかしくなっていたよ。今でも、時々魘されることがあるんだ。」
いつもは、明るいジャンおじさん。そんな過去の話を聞くたびに、居た堪れない。
そして、ジャンおじさんは、自分に言い聞かせるように「昔は、ツチとかフツとか人々が別れていたけど、今は関係ない。なぁ、憎しみあっても何も解決しないよ」と言う。
自分に言い聞かせるように。でも、彼は、4月から7月のこの三ヶ月間は、ルワンダで過ごすことはない。必ずこの期間は海外で過ごしている。
そう、この4月から7月は1994年にジェノサイドが起こった期間だ。
そして、ジェノサイドの終わった7月を過ぎるとまたルワンダへと戻ってくる。
きっと、今だに受け入れることの出来ないものを沢山抱えているのだと思う。
日常でルワンダの暗い過去を意識することはない。
けれど、ジャンおじさんのように笑顔の裏に深い悲しみを抱えている人がこの国には沢山いるのを知っている。
ルワンダの悲しい歴史「ジェノサイド」
まだ、人々の心の中では終わってない。